謙虚は人の為ならず。

11月29日、なろう作家らしく創作関連について考えてみた件

又「今日は多少早めに勉強を切り上げて自分へのご褒美的なものを用意してみた。心が鳥取砂丘のように荒んでいるからそこまでうれしいとも感じなかったが、自分にとってうれしいことも時折していかないと早々にくたびれてしまうとようやく気付いた。ちょっと何ならうれしと感じられるかよく考えながら、ねぎらいたい。駿台のセンタープレと同じ日にセンターの予想問題でも解いて、そこで700点超えられたら何か買おう。最近伊藤計劃のハーモニーの漫画版が完結したようだから、それを買うことにしよう。

小説版や映画版は見ていないから何とも言えないが、漫画版は絵がすぐれてきれいで、ストーリーも面白く仕上がっているから是非お勧めしたい。「すばらしい新世界」よろしく、ユートピアなように見えて実態はディストピアという構造が気が利いていて興味深く読める。他者への思いやりに満ち、なおかつ技術革新によって健康的な生活が送りやすくなっているにも関わらず、結局ディストピアだと主人公は考える。中央政府によって作られたユートピア的社会環境ということに反発しているらしい。突如起きた謎の集団自殺に反抗心から命を落としたはずの友人が絡んでいるのではないかという主人公の疑いから物語が始まるのだが、とにかく面白いので読んだことがない人にはお勧めしたい。かくいう僕も2/4巻しか読んでいないけれど。

ユートピアなはずなのに結局ディストピアのようになってしまうというのは、現代社会を風刺しているようでパンチが利いている。こういう作品を読んでいると現代理想とされている社会が実現したらどういうディストピアができるのだろうという妄想がたちどころに湧く。善良で公共的良心に満ちた行動を強いられる社会だろうか? 模範的言動や「きれい」な言動を強いられる社会だろうか? 理想から逸脱したものはその行為・言動が晒され私刑に処される社会だろうか、いやそれは思考警察でもこしらえない限りはありえない。各人の思想の差が生まれないことはないはず。それとも生まれても死刑に処されるだろうか、まあ秩序がなければそうなる。無法地帯ならね。今の時代の多様性を尊重する社会(笑)はパーソナリティの違いをほとんど尊重しないから、その傾向が続くだろうか? いやむしろパーソナリティの違いは、何らかの技術が生まれ尊重される方向にいつかは向かうはず。だが、それには数十年いや数百年くらいかかるのかもしれない。何よりその違いをうまく見抜く方法の開発が困難だろう。やはりそこは人力になってしまうか?

ともかく、何が正しいかは誰にもわからない。なぜなら何が正しいかの統一された基準がないからだし、それを決める存在もないからだ。いるとすればルールか神。もし何かが正しいと決め他の生き方考え方を否定すれば、その勢力が小さければ宗教、大きければディストピアになる、それは必定だ。イデオロギーが対立すればきな臭くなり、きな臭くなれば先鋭化するのだ。

もっとも、平生の社会であればいかに利益を大きく、対立を少なくできるかが基本の立場だろうから、極端な社会になるのはよほど対立が深刻化しない限りありえない。とにかく、社会的につながれていなければ対立する機会も減るだろうから、無用なつながりは排除するべきだ。だから個人的には、そういうつながりが排除される方向に向かうのが理想的だろうと思う。とくに望まぬつながりを強制する会社はより理想化されるべきだ。そのことについては、文字数が多くなったからまた明日にでも考えよう。

どうしたら効率よく勉強できるかよく考えて毎日をいきたい。勉強が人生そのものなんだからな、今は……」

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