【INXX】16personalitiesについて

無人「

はじめに

 16personalitiesというサイトをご存じだろうか? 人々の人柄・パーソナリティをその特性に応じて16タイプのいずれかに分類する性格類型サイトで、ネットで有名な同じく性格類型理論のMBTIの兄弟分である。どちらもユングの性格類型論を発展させたものだ。あらぬ誤解を振りまいては申し訳ないからリンクを張る。

 前々からサイトの存在は知っていて診断自体も行っていたが、最近いろいろ調べ多少詳しくなって面白く感じるようになったので紹介しようと思った。同じ性格タイプの行動や特性を見ているといままで見えなかった自分の在り方が見えてきて、さらなる自身の向上に役立てられるから皆さんも是非やってみてほしい。いろいろネットで調べたがなかなか詳細かつ正確な分類で、好奇心が人並み程度以上ある人には面白いものだろう。

診断してみた

サイトに入るとこんな画面が目に入る。占いまがいの胡散臭い性格テストとは一味違うのでご安心を。

 このように質問に答えていくと性格を診断してくれる。質問数はネットにあるテストの中では多い方だと思われる。同意度合いまで見てくれるサイトはかなり少ない。

結果は……

 

 

 

 

INTJだった。

INTJってなんぞやという方のために説明する。この性格類型論の始祖のユングは性格を8通りに分けた。それを受けてこのサイトでは、

  • 外向型(E)←→内向型(I)
  • 直感型(N)←→現実型(S)
  • 論理型(T)←→道理型(F)
  • 計画型(J)←→探索型(P)

という風に分類しており、2×2×2×2=16通りで、私は内向型の直感型の論理型の計画型というわけである。MBTIや16personalitiesではユングのタイプ論にJ←→P軸が加えられる。

 また性格類型では基本的にどのタイプにも優劣の関係は存在しないとされる。

 下にはこんな説明が続く。特性が強く出てなおかつ優秀だと書いてある通りの人物になると思われる。

これって当たるものだろうか?

 こういうテストには懐疑的な見方をする人が少なくないので所感を述べてみる。結論から言うと、かなり当たっていると思うし、タイプが近い人には多かれ少なかれ似た要素を感じる。

  • このうえなく孤独 → 確かにそうだと思う。昔は自分が内向的なせいでそう感じるものだとばかり思っていたが、よくよく思い出してみると不思議ちゃんとか変わっているとかよく言われていたし、根本的な人としての在り方の時点で違いがあったように感じる。OSが違うというか、まとっているオーラが違うと思う。これはたぶんSかNかの違いが大きいと思う。Nの割合自体少ないらしい。
  • 戦略にたけている → 不明。これとこれをつなぎ合わせれば面白いことになるだろうと直感することはたまにある。戦略が必要になる場面がそもそもあまりないので何とも言えない。ただ根気強いので長い目でみて気を長くして堅実に取り組んでいくという特性はある。
  • 知識欲が強い → その通りと思う。心理学に外国語に天文学に歴史学に……、とにかく知識の有無は置いておいてなんでも食らいついてしまう。何となく気になる。本屋で背表紙を見ているとだんだん買いたくなる。本の内容を想像して楽しくなる。ただ時計を分解して楽しむとかそういったアクティブな好奇心は薄い。面倒なことはしたくない。
  • 野心にあふれている → その通りだと思う。就職なんてつまらないことはまっぴらごめんだ。没個性のくそったれ(失礼)にはなりたくない。中小企業だったら面白いことができるかもしれないとは思うけれど、やっぱり起業してみたいし作家として飄々とやっていきたい。

 スクショにはないが、下の方にスクロールするとこういう一節がある。

規則や制限、伝統は、建築家型の人達が忌み嫌うものです。あらゆる物事は、疑問視され再評価される余地があるべきだと考えていて、機会を見つけると、論理的に優れ、時には配慮に欠けた、そしてほぼ例外なく型破りな自らの方法やアイデアを一方的に成立させます。

  • 規則や制限、伝統を忌み嫌う → 制限は確かに嫌いだ。可能性を排除するのは基本的に愚策だと思う。やりたいことはのびのびと自由にやった方が面白いし、何かに拘束されるなんて、たとえ相手が世間だとしてもバカげている。時代の潮流には乗りながらに反抗していくべきだ。
  • 論理的に優れ、配慮に欠け、型破りな方法やアイデアを成立させる → 論理的に優れ、配慮に欠け……ているかどうか知らないが、例えば少子化や労働力不足は試験管ベイビーとして優秀な人間の遺伝子を利用し解決すればよいのにと思う。愛着などは独立した機関を設置して、心理学者の監修のもと専門家が赤ん坊の性格に配慮しつつ対策すればよいと思う。配偶者のいない体外受精のようなものだろう。なんの教育もされていない両親に養育されるのと、果たしてどちらが人道的か? 資金面は政府がその効果をみこして提供すればいい。きっとすばらしい新世界が提供されよう。かしなぜこんな簡単なことを誰も検討しようとしないのだろうか? 政府の陰謀に利用されるとか思うのだろうか? 中国のように? あれは政府ではないか。エイズ対策だし。とはいえ結局中国が先んじるんだろうなあ……。(追記、2020年7月現在人工子宮はまだ実現していないらしい)

 という様子である。サイトのように誇張気味というかあそこまで露骨ではないにしろ、多かれ少なかれ当たっているのではないかというのが私の感想である。当たっていると思うからこそ今回紹介いたしたのだ。

おまけのコーナー!

 過去にも何度か受けたことがあるので、その推移を掲載しておく。最初のうちは自己理解が不完全で煮え切らない解答を多くしていたので、性格の傾向が弱く出ている。

 最近の変更を上げると例えば、「事業を持っていたとしたら、忠実ではあるが業績が芳しくない社員をクビにすることは非常に難しいと思う。」という設問に関して、忠実であるなら一人の人間として扱いやすいと思い同意するの方に解答をしていたのを、その人に感情的に入れ込みクビにできなくなるかどうかを問う設問だと推測し直し同意しないの方に解答を変更した。

 以下列挙。最初の頃一度だけ違うタイプになったことがあるが、何タイプだったかは記録しておらず忘れてしまった。

2020年1月29日

5月4日

5月23日

5月24日

6月29日

7月16日

 複数回やると設問に自分の好みのタイプに判定されるよう答えるから駄目だという批判がネット上でしばしばみられるが、私はいまだにどの設問がどの傾向に対応するのか理解しきれていない。今回も計画に関する質問にやや否定的に答えたはずなのだが計画型の気質が強まっているし、慎重型の気質が強まるような答え方をした気がするのにむしろ逆に弱まっている。

 何にせよこういうテストに客観的に答えるのは自分のためになるので積極的にそうすべきだろう。自分の思い通りに答えたところで得はない。

終わりに

 MBTIなど16類型はもっと奥が深いのでいずれまた触れることがあると思う。性格類型は自分の能力向上や適性発見にも応用することが可能で、相手の性格をおおまかに予想して接し方を調整することも可能だ。人の性格をパズルのように楽んで把握し関係の構築に役立てるのもいいだろう。

 そして奇跡的にこのブログに到達して興味を持たれた方は是非結果を教えてほしい。今まで一度しかブログにコメントをもらったことがない。

参考

MBTI入門は中古で買った方がいいと思う。以上」

時には考えの整理をしよう。

「またまたブログを長期間放置して申し訳ない。最近ようやく精神的に回復しつつある、熱中症からの回復による体調改善によって副作用的に回復したので、ようようブログに手を付け始めようと思う。ただ相変わらず小説の鍛錬や将来に向けての計画やその準備などやることが(現役の時点ですでにそうだったが)あまりにも多いので、それが気がかりである。どの程度できるかわからないが善処したい。あんまりにもやるべきことが多いので目が回って、ここのところ何もできなかった。勉強もほとんど三か月間何もしていない。自分を高めるには最適の逆境ともいえるが、はてまあ。何もできなかったとはいえストレス下で這う這うの体、読書やアニメ鑑賞など基本的な生活にいそしんではいた。

 何事もうまくいかなくって、黒は梅雨時の雨のように理性に降り注ぎつつ、服も髪もずぶ濡れて自由や視界は檻の中だ。立ち尽くして生ぬるい気温を感じ、ひたすら雨が止むのを祈っている。

 あさましい直感の混声合唱。

 いつ止むともしれぬのに、いいや、止むことなどないのかもしれない。やるべきことはのしかかり、運命は心身を叩きつける。畜生め、こんなに腹立たしい生ぬるさが体にまとわりついているじゃないか。

 でも黒い雨ってのには結局、傘を差しゃあいい話。世界は私が作る。

 

 考えの整理? できることとできないことの整理か? できないことはできる範囲までグレードダウンされよ。やるべきことは加味されたい。集中力と行動力は容易には手に入らないか? 仮に手に入らないとしてもさらに高くへ上り詰めていくことは不可欠だ。高みへ登って、その先の高みを見上げ続けるのだ。

 才能がないなら、才能がないなりの努力が武器になるのサ

20/5/26 ストレスの淵源

又「相変わらずストレスが、長く尾を引いている。というよりかは、じわじわ締め上げられて表面に影響が出てきているような感じがする。ストレスからか肌がかゆくて、それを我慢しているとストレスになる。総身にシミと荒れの波が大挙する。うっひゃこれじゃあ仕方がない、と思ってなんどもストレスを緩和しようとしてきたのだけれど、好きなものも何一つなく面白いこともなく、本を読んでも物語を考えても外に出てみても今一つぱっとせず、体から意識が離れていくような、妙な感覚に数日間襲われる。何かしたいわけでもなく何もしたくないわけでもないという宙に浮かんだような、わけわからない気分になる。脳みそが滅茶苦茶にかき回されているようだ。勉強からしばらく離れてみてもなんら回復する気配もない。やろうという意思がないのはいうまでもなく、集中力がさっぱり続かないのが目につくようになった。

 

ストレスは書いて解消されるのか。

ただ、ただ、新しいものに触れて、刺激を与えてみると、一時的に回復する。つかの間の平穏。

いっそのこと鬱になって寝込んでしまえばいい。……鬱か? スツーカ? 火星の空に青いオーロラが下りる。

だめだね。理性が足りないのさ。冷たくて青く光るダイモーン。

どうして、僕はこんなにも苦しんでいる。火星の夕暮れを見せろ。火星の夕暮れは青い? 青い空はきれいか?

きれいなものに触れてはだめだ。黒くて汚い地べた、はいつくばって峠を越えろ。

ハハハ、なんという悪辣な精神か?」

5/8の日記、自分の嫌いなことはできるだけするな

傍若無人「前々から警戒してはいたが、またしてもランキングから追放されたようである。アナリティクスを見るとアクセスがあるようだが、30日間アクセスがないという理由で削除された。

このブログにも色々なコンテンツがほしいものだ。哲学か歴史か小説かSFかはたまたイラストか……、一考する必要がありそうだ。どうしようか。

それはともかくとして、躁鬱だか鬱だかは興味がないが自分の苦手なことを前にするとそういう傾向に、精神状態の影響もあると思うが、陥りやすいように感じる。どういう感覚が引き金になるかわからない。ただ学校は……。

それだから自分の嫌いなことは一切しないことにした。つらつらと文章を連ねることは案外好きだが、様式の整った文章を書くのはあまり好きでないのでほどほどにしかやらないぞ。あと最近はトーイックのリスニングの勉強ばかりして飽きてきたから英作文に色移りする。小説も最近は書きたい欲が少なからず惹起してきたから書こう。睡眠はどうせ思うようにならないから寝たいときに寝て、寝たくないときには意地でも寝ないことにした。

ちなみに人物交代したのは口調を分離するためである。深い意図はない。

ところで、こういうブログを書いているからあえて言う。何時間やればいいとか、睡眠時間がどうだとか、何を食べると頭が回るだとかいろいろ言われている世の中だが、勉強にとって一番大切なことは他のものに気を取られずにただただ勉強することだ。どんどん覚えていけるような勉強を。それさえしていれば、考えれば当たり前のことであるが、成績は勝手に上がっていく。大学も、浪人すればどこでも受かると思われる。私は今までさんざん勉強していて大して身についてこなかったが、それはわからなくて悩んだり模範解答を覚えようとして半端な時間を使ってしまったのがまずかった。

どんな参考書をどうやるだとか単語がどうだとかあるけれども、結局最後にものをいうのは演習量なのだ。本番と同じようなことを出来るようにすればいいだけのことだ。何も難しいことはない。受験生ないしすべての学習者が達成すべきは、集中力を鍛えて、出来るだけテンポよく問題を解いていき、解答出来るようにすることだ。楽しめるように、成果を出していければ好循環であるし、楽しめれば集中力も量もおのずとついてこよう。何にもまして大切なのは、決断と遂行をそつなくこなす事だ。細かいことにとらわれてはならない。なぜなら細かいことはおおむね不必要だからである。大切なのは記憶に刻み込むこと……印象付けることだ。

何事にも気を取られてはならない。まずは楽しむように。できることから順々に詰めていくこと。たまには気分の転換をするのもよかろう。だが悩んだり固執したりといったことはすべて無駄だ。即刻唾棄して何食わぬ顔して作業を遂行するのだ。

とりかかるときに音楽を聴くなりして気分を上げるのもよかろう……ただし集中力が何よりも大切だからして、少し経ったら停止して気を引き締めて作業に取り掛かるように。

 

時間は有限だ。

煩悶は思考停止だ。

気持ちをピッと張れ。

機運はいつか高まるだろう……。

自分の手から引き上げていけ!

今日の無理より明日の頑張り

又「案外勉強に限ったことでもないのだが、何かに取り組んでいると、無理をして作業に取り組み続けて、その日のうちに多く進めようとむきになってしまったりする。しかしそこで気持ちを消耗して、明日以降のやる気を、無理してやった経験から敬遠しがちになって、削いでしまっては元も子もないし、心から自然に湧き上がるたぎるようなやる気や活力を行動の活力とすることで、集中力が増して賞賛されるべき集中力を生む。集中力さえあれば作業効率も上がりかえって成果が出るものだ。

とはいえ、明日やろうはバカ野郎とかいうくだらない言葉にあるように、やる気が起きず後回しにするという事も起きうる。そういう例は、何かに執拗に取り組んだ経験のないうちに起こりがちだが、疲れてどうにもならないという事もある。このようなときいかにすべきか。どちらがより自分に資するかわかりづらい。

思うに、激しく動き回った結果の身体的な疲労に関しては、ある程度日課としてこなす。無理はしない。

眠気による疲労は悩ましいけれど、起床後に眠気が取れないというときには、いずれ眠気は取り去られるからやるべきだ。しかし夜眠い時、早めに作業を切り上げるべきか? この場合は集中力を基準にすればよいだろう。というのも、集中することが本質的に大切なのであり、これさえあれば無問題だ。センターは三時間睡眠で大変眠く大コケしたけれど、明治は一睡もせずしなかったが眠気もなく集中できた。結果もそれに対応している。

結局は昼間の眠気も何も、集中力を基準にすべきであり、それさえ保証されるなら他に必要なものはない。寝るのは眠気で作業効率が落ちるのを防ぐためであり、眠ることに他の理由はないように僕には思える。成果さえ上がれば眠らなくたって何ら問題はないのだ。

雑談

不思議に思うのは、どうして夢を追い続けて努力を続けるのが否定されねばならないのか? 金銭的負担は大したことはない、何より生涯賃金の観点からすればむしろ得なのだ。よしんばその道が途絶えても損することは何もない……、就職なんてクソくらえ、道端で野垂れ死んだ方が美しいではないか? 首切って死んで、うーん、素敵。

二浪三浪で就職で不利になったとして、不利にするような会社は僕には合わない。僕が起業して廃業に追い込んでやって、面白いだろう。松下幸之助のように歴史の上に名を打ち立てて、覇を唱えるんだ。蝶のように舞って蜂のように刺して、拷問にかけられた罪人よりもみすぼらしく……ボコボコにしてやる。

 

本来は意識に関する考察を述べる場だったけれど、議論が煮詰まって(?)、アイデアがなくなったといってもいいけれども、にっちもさっちもいかず、尺稼ぎだ。

やりたいことがやれないなんてむごい拷問がこの世にあるか? まだしも、打ち首になって、腐ったムクロを野風にさらせ。
むごい、むごい拷問……、学校のことか? あのような強制収容所がどこにある? 現代の強制収容所……、いや、収容所だって子供を精神的に追い込むなんてことはすまい。くそが。なぜ人前にさらすような真似をして……ひと月も二月も不安にめった刺しにされなくてはならないのか? くたばった方がいいぜ。今すぐにな。僕がボコボコにしてやる。独りよがりのクソったれめが。自己満足だ。

やれやれ。人と分かりあうとは夢物語……。

 

努力して、努力して、努力して、いつかは報われる。出る釘を打つ奴は恥を知れ。そんな奴には手は差し伸べまい。

噫祝福さるべき努力の奴隷! 憐れ! 二〇二〇年五月五日」
東大受験生ブログランキング

残り九か月、共通一次模試の中止を知る

又「最近他の人のブログをほとんど読まなくなったから、どの程度周知されているのかわからないけれど、どうも河合塾の模試が10日ほど前に中止になったらしい。駿台の模試はなぜかマーク式は七月までないようだ。

個人的にも、あまりできるようになっていない内に受けて、どんよりして終わるのも嫌だったというのもある上に、一度受けなくなれば芋づる式になってしまうから結局受けるべきかもしれないとも悩んでいたから、模試自体がなくなって悩みが解消されたのはうれしい。なんとか気を抜かずに、効率よく、集中して、前向きに勉強して、能力を向上させていければいい。最近は大学のへ数学や世界一わかりやすい京大数学というのを用いて確率を詰めていっている。青チャートも使っているのだが、まあなかなかできるようにならず何度も繰り返すことになる問題もある。しかし去年やおととしのように、形式的な勉強には陥らぬよう計らって、ペンを動かさずとも見直すだけで復習を済ますという手法も併用しているので、効率はぐっと上がったと思うし、しばらくしてから見直そうという気にもなる。というのも、何度解いたところで一月くらいたつとすっかり忘れてしまうようなのもあり、いちいち解きなおしで対応していると時間がいくらあっても足りない。学問をするときは、必ず、いかに効率よく、自分が勉強して実力を上げていけるかを考えなければならない。できないことをやってもできるようにはならない、何しろできないんだからな。できることから詰めていって、同時にできることを増やしていく、これが大切だ。

 

最近経済原論という本を二冊、別のものだが、買った。めちゃくちゃ難しいよ。覚えられねえ。簡単なのを併用して何とかやっていきたい。大学の論述問題もいいかもしれない。それから韓国語も始めた。中国語も始めた。どうも簡単らしいから。試験で合格すれば単位がもらえて学校から解放されるから、重宝しそうだ。もう学校なんて嫌だからね。経験を積む場所としての価値しかないから、勉強は家でゆっくりやった方がいいよ。自由にね。リラックスした方が身につくもんだ。

古典は小西甚一氏の古文の読解という本を使っていそいそ勉強している。講義形式なので、ゆっくりとしたペースで学んでいける。問題演習と併用していけばよさそう。それからやっぱり歴史は面白いねえ。今度書評でもしてみたい。こうもいろいろ面白いものがあると、何をやろうか悩む。

そも、新しいことを始めるのは面白い。イラストもボチボチやっているから、クリスタ買ったらブログにも載せていきたい。まだ素人だけれど。素人の時からの成長を見せるようなコンテンツがあるだろう、あんなものをやってみたいね。いままでやったことがないからな。特に長期的には、ブログのみならず、ほとんどやってなかろう。でも何から始めればいいかすらいまいちわかっていないので大変だ。今年一年で、人物画くらいはプロに負けず劣らずにしたいのだが。指南書でも買おうかしらん。スケッチとか、あたりをつけるだとか、クロッキーだとか、Vtuberを描ければいいだけなんだけれどなあ。

話は変わる。大学への数学はお勧めしておく。基礎から応用まで網羅されているし、あれをしっかりできるようにすれば向かうところ敵なしの気がする。時間は相応にかかるが、その効果は請けあう。

あと数学がどうしてもいやで、時にイライラしてしまうんだけれど、そんな時は休憩して別のものをきっぱりと始めてやった方が、集中できていいのではないかと思うよ。いやにならないときにちょっちょっとやってしまう方が身につく。そう、身につくのが大切。身につかない勉強も、読書も、罪悪だよ。やってて自己満足でしかないんだから。人生の無駄だ。大して面白くもないのではね。

それではまた、僕がブログの延長を忘れていなければ。たっかいんだよこれが、三万五千円用意……。

ナナ、窓際族のすず氏もそうお思いでしょう」

すず「意味もなく出番なんて作らなくていいわよ」

又「え~いさっ、出番がないってもう仕方ないなあ……。ちょっと考えておこう。

それで、今ふと思い出したんだけれど、やっぱりリスニングは難しいよ、集中力が一番の壁。単語力も、シスタンに速単と、一年前よくやっていたのに、全然足りねえ。大学英語って単語あんまり求めないんだな。そうとは知らなかった。実用性からはやはり遠い。まあ、弱冠18に求めるには妥当かもしれないけれど。でも京都大はひねった訳を求められるらしいし、その点では面白そうだね」
東大受験生ブログランキング

普請中、あるいは訓戒

又「自分を鍛えているうちに、だんだんと自分の考え方や取り組み方が変わっていくのだけれど、その経過についてあとから記すとその純度も落ちてしまうだろうから、どのような経過をたどっているのかを正確に振り返れるように、その過程を記していこうと思う。普請中の過程をだよ。

高校受験の頃は、まず自分のやり方が一番だろうと確信していたから、例えば英単語では赤シートで隠さずにひたすら単語帳を、他人に赤シートを進められても断りながら、読んでいた。中々覚えられなかった。そもそも問題を解くことが嫌いだったからでもあるが。高校受験の時は量が少なかったから何度も同じような問題を解けて難なく通過した。

高校入ってからもその傾向は続いて、青チャートを図書館でひたすら写していたのは黒歴史。単元テストの前日に九時間勉強して平均点を超えられなかったのはさもありなん。いくら熱意があっても結果が出ないと参ってしまう。数学に関しては予習につぶされてほとんどやらなくなっていった。英語の文章を訳させるあれは時間がかかるのでくそである。

高2の時に、数学の教師が、一日2時間は解かなければできるようにはならないと授業で忠告して、僕はちょっと感銘を受けた。やっぱり解かなければできるようにはならないんだなあと思ったわけだ。当たり前なのだが、全然できなかった僕にはちょっとした希望だった。だがしかしその後三年以上できるようにはなっていないが……。

高3の時は、春休みに例によって青チャートを読みまくるという愚策に走る。一月くらいかかって読んだ。結果は推して知るべし。まだ問題を解くのが嫌いだった。やらなかったからな。数学はその後もそんな調子であり続けて、直前にセンター対策問題集を解いたが、全く歯が立たず、繰り返して解けば覚えられるだろうと思ったが、全然覚えられず、惨敗。英語も解くようになったが、くだらない自己満足に終始して、つまり問題集を端から端まで読んで解いてとやって、覚えるという事を怠ったのであまり上がらなかった。解いてはいたので多少上がったけれど。問題解答嫌いはやや和らいだ。というのも解いたから。

一浪時は解いた。が、やはり自己満足に終始して、解いても、わからないのに粘って悩み(思考停止)、効率が悪く、数をこなせず挫折する。解いた場合も、過去問のような長大な問題の場合は覚えきれず、解けないのが嫌いな僕は復習をかなり渋った。おかげであまり解けるようにはなっていない。問題解答嫌いが尾を引いて、あんまり数はこなさなかったように思う。

ただこの頃から、経験で気づき始めたこともある。気づいて実行に移そうとしたことと表現した方が正確かもしれないが、つまり覚えればいいと思うようになったという事だ。例えば暗唱例文のような。現役の時は効率が悪そうだと思ってやらなかったことである。代わりに何をやったわけでもないのだけれど……。勉強時間だけは積んでいたので、おそらくひたすら読むといったような、自己満足にしかならない、あるいは作業のような感じだったと思う。

一度は解くようになったが、二周目は解けて当たり前と思って、解けない現実を見るのが嫌だったので復習はあまりしなかったし、すれば余計に時間がかかると思っていた。結果的にはした方が身になったと思う。一周目でもっとサクッと回すべきだった。できるようにするという目的を念頭に置くべきだ。結果につながるからね。

地歴も同じで、穴埋め教科書も義務的に、機械的に、文章をひたすら読んで、暗唱できるようにするというような合目的的な勉強ではなかった。遺憾ながら。解けなかったら勉強は楽しくないよ。解けるようにしよう。

一浪時は内面には注意を向けなかった。やり方を変えれば改善されるといった、これまた自己満足的な、ある意味独りよがりだ。それでもそこまで機械的だったから、内面に目を向けて、考え方から覆していかなければならないと思うようになったのは怪我の功名で、集中しようとか、そう思うようになったのは収穫だ。タスクフォーカスとか、他人のアドバイスもためらわずに、実践して、実践すれば抵抗もなくなる。

今は、出来るようになるという事を常に頭において、合目的的な行動を、効率よくやろうとしている。究極的に合目的的ならば、作業効率も上がって少ない時間で勉強を終えられるようにもなるから、そうすべきだ。楽しみも重視したいと思う。やる気の源泉。復習も好意的にとらえるようになった。前よりはできるようになっているぞ。

義務感に追い立てられるような、脅迫的な、心に逆らうような行為は慎め。病んでしまうぞ……? 一度、息をついて、無心になって、考える。なぜ勉強するのか? ……自己満足ではない……義務ではない……できるようにするためだ。

何事も実行あるのみだ。ところで、何かに取り組む前にこう暗示しているのではないか? 出来なければだめだと。そんなことはない、出来るようになれば良い。出来ないままにする方が問題だ。 こう暗示しているのではないか? ああやりたくない。なぜそんなことをするのか? やりたくないなどと思わなければ、苦痛を感じずに済むのにも関わらず。結局やることに変わりはないのだから、何も考えずにやればよい。嫌いな食べ物を、起きているときに食べるのと、寝ているときに食べるののどちらがよいのか?

邪な思いにさらされたら、今一度考える。こんな思いを抱くのは自分に利することだろうか? 大抵の場合においてそうではない。感情がお役に立つ場面は少ないのだから。大体は理性が役に立つ。利益を正確に計算するから。

何も考えずにやることほど強いことはない。淡々と実力だけを養成していけるから。普段からこのことをよく心掛けよ。

 

余談

トーイック難しい。量多い。僕の嫌いな奴だ。問題自体はそこまででもないが。600点超えられるか不安なレベルである。できれば650くらいは取りたい。

ところで案外トーイックの勉強は受験勉強に役立ちそうである。自分の英語のレベルが知れるから。思ったよりできないし、リスニングがやたら難しい。あのリスニングが出来たら共通一次は余裕だろうなあ。そういえば五月に模試があるらしいね。コロナでどうなるかわからないけれど、申し込んでおこうかしら? でもなあ、申し込んで意味があるだろうか。そこまでに勉強を一区切りつけるのは難しそうだが。慣れのためにやっておこうか。問題解けるようにしておきたい。

最近は昼過ぎまで起きられなくなってしまった。まあ何とかやっていこう。最近は青チャートのエクササイズと、トーイックと、大学への数学しかやっていない。わからなかったら、考えるべきことを考えて、すぐ終わりにするので、出来るようになるまでは、そこまで時間はかからない。

 

なんだかんだ、できないことに挑戦するのも悪くない……。基礎的な能力が身につけば、いろいろと、行動自体計画的に、利益を重視してやっていけるようになるから。……何事も普請中だ……そろそろ小説を書きたい頃。イラストもやりたい。道は長いなあ」
東大受験生ブログランキング

入試で見られるのは何をしたかでなく何ができるか

又「当たり前の話だけれど、なかなかできなかったりわからなかったりするもので、時間を量をこなしているつもりなのだけれど、なかなか進まないというときがしょっちゅうある。青チャート八問を三時間でやろうと思ったら四問くらいしか進んでねえという事がざらにある。45分で過去問の復習をしようと思ったらなかなか解けなくて一時間半くらい結局かかって何とか解き切るという事もある。

しかしながらこういうものはたいてい集中力を高めて持続させていけば解決できるものがほとんどで、ふと違うことを考えたり、頭の中で考えることをせずに悩んで精神と時間を浪費したりするのだ。大体悩んでいても考えは全くめぐっていない。わからなかったら何をすべきか明確になるように、その場で不明点と何をすべきかの検討案を列挙して、無駄な時間をつぶせばいいのではないかと思う。まあ簡単にそんなことができれば苦労はしないけれど。

昔から周りのクラスメイトはサクッと、自分よりも学力がよくなくっても解いていしまうような問題を、時間ギリギリ使ってようやく終わらせるという事は散々あったのだ。無駄な悩みで時間を浪費していたのだと思う。物事を話すときもおんなじだな、考えすぎて中々言葉が出てこないというか大して考えずに悩んで思考が進まないのだ。会話を例にとると中々改善できそうにない。いまこうして書いている文も、頭の中に書いていけるものではなくてぶっつけ本番でブログに書かなければ全然言葉が出ないのだ。

それはともかく、集中するにはまずは自分が集中しているかどうか的確に判断することが大切なのだ。集中していないとわかっていれば修正しようと思うだろうけれど、わかっていない場合はそうはならない。案外考えてみると自分が、今集中してねえなあなんて思うことはまれだったし、特にそれを意識することは絶無だった。まずは集中しているか意識する。集中していなければ寝転んでゲームでもやって、いざ体勢を変えて心機一転気を引き締めて勉強に座ってとりかかる。こうすることで気を入れることができるし、しているときとしていないときが明確になる。

それから、悩んだりして思考停止するとストレスになって集中が乱れるので、ふと手が止まったら不明点を明示し改善策を列挙してそれをいちいち試してみることで、集中の乱れを防ぎ持続して勉強に取り掛かれるはず。

案外集中していないのに気づかないんだからね。この前はつぶれた店の開放スペースで勉強していて、全然自分が集中できていないことに初めて気づいた。集中できていなさに驚いたくらいだ。

 

それで、少し話は違ってくるが、寝られずにむかむかして布団の中でごろごろするという事が多かったのだが、とりあえず寝られなかったらば、無心になって椅子に座って何をしたいか冷静に考えるようにしようと思う。この時間はもったいないからなあ。

 

自分は自由なんだなあ・自由というものが存在するのか?

自分のしたいことをしようと思うのだが、したいことが全くないし何もしたくないというのはもうここ後六年くらいの一貫した傾向であって、なかなかそれを惹起させるのに苦労する。したいと思えるならば、自分の置かれた状況の中で最もしたいことを選択すべきなのだ、が。自分の気持ちの中にも不可解に弱い部分があって、ルールが腐るほど大量にあることを考えると、余計なことは一切してはいけないのではないかと思って何も行動しない癖がある。それが自分で行動することに対する抵抗と合わさって自由が自分の手からすっ飛んでいく。

だから自分のしたいことをしていいんだなあと思うと変な気がする。

おそらくは自分の、物事に対する固執する癖のせいだろうな。固執するから悩んで時間を無駄にする。意味のないことにこだわるのだ。大切でも何でもない。自己満足のくそ野郎だよ。

みんなは自分の気持ちを把握して大切にしようね!

余談、吐瀉物生産

このコロナが世の中を騒がせているご時世で、昨日は尋常でないくらい頭が痛くなって、気持ち悪さ、地獄のような責め苦を味わって、三時間くらい死にそうになった挙句にトイレにドバーッ!!とやったぜ。もう片頭痛だけは勘弁してほしい。

閑話休題。

そういえばだけれど、一週間くらい前に、東洋大学から三回電話がかかってきた。センター利用の均等配点と、傾斜配点とで、追加合格になったらしい。一回は急に切れた電話だった。あの点数で合格になるものなんだな。滑り止めで上位校の人たちが大挙して押し寄せていたんだろうか。

 

長くなったので終わり。いざ書き出してみると長くなるな」


東大受験生ブログランキング

受験で問われるのは物事への取り組み方ってそれ一番言われてるから

又「いろいろ振り返って、改めて僕くらい長いこと努力をしてきて報われないような人間はいまいと自負する。がしかし実態は、理想ほど大した努力ではなかったのではないかとも思っている……。現実と認識の間にはえてして溝があるのだ。

思い立ったが吉日とすぐさま行動するような実行力、短時間なりともものすごい勢いで取り組める集中力、あるいは周りの空気に惑わされない集中力、感情をうまくコントロールする能力、以上全ての能力をもってしてのみ、入試を突破できる……、質が高い多量のトライアンドエラーによってのみ。

思い立ったときに、無駄な悩みもなく、動揺もなく、すぐ物事に取り組んでこられたか……否。

ものすごい勢いで、周りに流されず、理性的に集中して物事に取り組んできたか……否、長時間はおろか、だ。

どんな人間だって、大して脳みそに違いはないんだから、大した能力の差はあるまい……、だから入試を突破せんとすれば、いや、それにとどまらず何事かを成し遂げようと思うならば、以上の、集中力と実行力がなければ太刀打ちできない、ひるがえって、それらがあれば十分戦ってゆける。だから、何事かをなそうと思うならば改めて、時々でもいいから、自分の姿勢というものを省みるべきだ。

それと忘れていたけれど、何かに追われるようにして、というのはダメだ。必ず自分の意志で、自分の興味で、自分の感情でもって行動への活力とすべきである。誰も、だれかに強制された事はやりたくない……、それが自分であったとしてもだ。

余話、粋スギィ! 粋! 粋!

問題をメルカリでたくさん買った。これが自分なりのモチベーションのあげ方だと思うからだ。自分の向上心とか挑戦心とかいろいろ刺激されるからだと思うのだが。

ところである商品にメッセージがついていた。京都大学に受かった人からのメッセージだ。

 

 

うーん、小粋だねえ!? びっくり仰天。この思い大切にしたいねえ!」

すず「素敵ね」

又「うむ。

不器用でも、とにかく前に進めばそれでいいんだな、とにかく行動に移して、量をこなせばいいんだ。頭より先に早く! うーむ、頑張るぜ!」

認識の方向調整 fromしなくちゃいけないtoしたい

又「長いこと何らかの目標に向けて努力していると、気づきもそれに伴って少なからず増えてゆくのだけれど、二年以上受験をしてみて至った境地は、結局ものの考え方捉え方といった心理的な部分が物を言うという事だ。当然といえば当然という気もする。あらゆる行為の土台にある訳だからな。

ただこれでは少し抽象的な感じも否めないので、少し具体的な区分けをすると、物事に対する取り組み方、刺激(インセンティブ)に対する反応の仕方の違いが才能を左右すると思う。これらは遺伝する部分が多くを占めるから、才能ともいえると思う。これらにうまく対応できるかどうかも同様。それだから、どうも努力しても変わらないというときは、そういった部分からの変革が必要であるわけだ。

それで今年は考え方捉え方ないし取り組み方刺激に対する反応とかそういったものを変えてゆけるよう、努力していこう。自分の根底にある流れを変えるから一筋縄ではいかないだろうけれども、何とかやっていきたい。

 

今日はしなくちゃいけないという意識を、何かをしたいという意識に入れ替えるようにしようと思う。しなくちゃいけないと思っていると、それができないと不満などストレスがたまるし、出来ても大した満足感は得られず、次へのインセンティブが得られない。したいと思っていればその思い自体がインセンティブないし動機になりうる上に、達成できれば満足できるだろうし、達成できずともストレスはたまることはないはずだ。それだから今日は、しなくちゃいけないという思考を脳内から叩き出して、したいことだけをやろう。したくないことは絶対にしない。そういう意識が希薄であるとくたびれるから気を付けたい。したくないことは絶対にしない。したいことをする。

ただ、この前の段階でしたいという意識をどう涵養するかという問題があるけれど、それはまた別の機会に考えよう。とりあえず今は自分の好きな参考書を好きなように集めて、自分の好きな参考書で好きにやろうと思う。目につくところに置けば意識に上って積極的にやりたくなると思う。

ううん、成績上がるといいなあ」

東大受験生ブログランキング